isotope ・iris・irony








君がまた、大人びた、それでいて稚拙なことをいうものだから、つい手を出してしまった。


相当ひどく打ったので、君の頬は見る間に赤く腫れ上がる。

君は無言で俺を睨み付けるけれど、その眼はすぐに諦めの色に変わった。

俺から瞳を反らして、君は部屋を出て行こうとする。

 

俺は苛立つ。

 

君が強いと言っても今のところ俺には敵わないのに。

そんな態度は逆に劣情を煽るだけだというのに。

君はそんな眼で俺を見るというの。

 

悲しくなって、去っていこうとする君を後ろから強く抱きしめた。

君は逃げない。

諦めたみたいな溜息。

 

俺は嘆く。

 

 

 



子供の笑い声が聞こえて、眼を開けた。

壁に蔦の這う、円形の狭い部屋の中にいる。

見回すと、突然に瀟洒な造りの螺旋階段が現れた。

手すりのデザインが、まるで絡み合う蛇のような風体の、なんとなく気味が悪い階段だった。

また、子供の笑い声が聞こえた。

顔を上げると、サスケがいた。

ひどく小さくて、三歳くらいなのか、楽しげに笑いながら俺を見下ろしていた。

「・・・サスケ?」

辺りは暗く、上方の、かろうじて開いた窓からそそぐ光は、ひどく微かであまりにも遠い。

サスケはいまだ楽しそうに笑い声を上げている。

俺は聊か苛立ちを覚え、立ち上がってサスケを追いかけた。

「おにごっこ?」

サスケは嬉しそうに階段を駆け上がっていった。

サスケを追う俺の一歩は、鉛のようでひどく重い。

後ろで何かの崩れる音が聞こえて、足を止めないまま振り向いた。

すると、部屋の壁が、上ってきた階段が、散々に崩れ始めている。

鉄が飴細工のように溶け、静かに、確実に形を歪めながら消失していく。

俺はそれが急に怖くなって、サスケを追ってただ懸命に階段を駆け上った。

しかし、追いつけない。小さな子供の足なのにどんどんと離されていく。

 



サスケは目の前を走っていたかと思うと、急に五、六階も上のほうから俺を見下ろしていたり、

俺の横に座り込んでいたりする。

サスケは見たこともない笑みを浮かべて、時々俺の顔に手を触れた。

小さなそれは凍え過ぎて、触れるたびに皮膚を刺し痛みを伴う。

ひっそりと濃い常闇が迫る。

ほとんど気を失いそうになりながら、サスケの名を呼んで、強く呼んで、やっと細い肩に触れた。

「カカシ、俺を殴ったってばよ」

腫れ上がった頬を抑えながら振り返ったサスケの顔は、彼でなく、金色の髪をしたナルトに代わっていた。

「サス・・・・・?」

ナルトはニヤニヤと笑いながら、俺を突き飛ばした。

俺はなすすべも無くもがきながら、深く暗い闇の中に吸い込まれるように落ちていった。

 

逆さまに落ちていく途中で、まるで映画のように体の周りにヴィジョンが現れた。

そこには懐かしい里や人々、中忍試験の試合、彼の仲間たちの顔が次々現れては消えていった。

そこに、ひときわ大きく対峙するナルトとサスケの姿が映されて思わず息を呑んだ。

 

サスケの表情は憎しみと、言いようの無い想いにひどく歪んでいる。

ナルトは絶望のため息を吐いて、悲しげに顔を伏せている。

 

その周りを見たことのある顔がぐるぐる回っている。

それらは笑いさざめき、怒り、あるいは泣きながら口々にのろいの言葉を吐く。

 

二人は互いに決別の意を示し、大きな熱の塊となってぶつかり合った。

それが弾けて、まばゆい光。

横たわるナルト。

俺は自分の声にならない叫び声に、耳がつぶれそうになった。

 

 

 


派手な水音がして、俺は急に海の中に放り込まれた。

しばらく水の中を落ちていき、息が続かなくなってもがいた。

大きな空気の塊が口のから吐き出され、肺が悲鳴を上げる。

苦しくて水面に出ようとしたが、体が思うように動かない。

頭がぼうっとしてきて、手足から力が抜ける。

しばし水のたゆたうままにまかせてゆっくりと漂った。

 

ふと見下ろした足下に、古びた町が見える。

そこでは黒い、人のようなものがあちこちで地面や家の中に横たわっていた。

家の壁、そこここに見覚えのある家紋や旗が整然と並んでいる。

その一角で、対向する二つの影。

眼を凝らすと、泣き叫ぶかつてのサスケと彼の兄、イタチ。

ただし、イタチの顔は黒のクレヨンかなにかで塗りつぶしたように顔が無い。

 

 

 




不意に眼が内側から熱く燃え上がり、焼け付くような痛みを伴った。

あまりの激痛に、気が遠くなるのを感じて、何かにすがろうと必死で手を伸ばした。




 

 

 

気がつくと水面の上に横たわっている。

その眼の前、青い空を巨大な鯨がゆっくりと旋回している。

鯨は、禍々しいチャクラを放つ赤い扉を守るように泳いでいた。近づくなと、その眼が言う。

鯨はひどく優しい眼をしている。

寝転がったまま、じっと流れていく空を見つめていた。

空は誰かの眼の色のようにどこまでも青い。

鳥や魚や、そのほかの動物たちが自由に雲を渡り歩く、とりどりの花が咲き乱れ温かい風にそよぐ。

 





赤い扉。





 

子供たちが俺の周りを走り回る。楽しそうに声をあげて幾人もが走っていく。

「だれがほしい」

うちはの家紋を背負った小さな子供たちが、花一匁をしていた。

「サスケが欲しい」

うちはの子供が一斉に振り返る。

サスケはそこに入ることを拒んで膝を抱えて座り込んだ。

十二歳のサクラとナルトが、小さなサスケの前に現れて笑う。

三人で手をつないで金色の草原を歩いた。




 


赤い扉。





 

その中に、己とイルカの姿を見つけてつい微笑む。

それから、オビトを。彼は何故か紙のように薄く、唯一撮った写真の姿で笑っていた。

 

不意に一陣の風が吹き一切合財を吹き飛ばしていった。

禍々しい邪気が辺りに立ち込める。息も出来ないほどの恐ろしいチャクラが襲う。

首筋に痛みを感じてそこを見ると、双頭の蛇が目を細めてうっとりと噛み付いていた。

痛みは感じなかった。ただ、ひどい憎しみとリビドー、無慈悲な嗤笑を感じた。

 

気がつくと、あの赤い扉を開け放っていた。


その奥は闇よりもさらに深い闇が口を開けていた。

体中に恐ろしい呪印が現れる。俺は慄然としてその呪印を消そうと何度も体中を掻き毟った。

それを阻むように現れた人々が、俺の動きを止めようと集まってきた。

彼らはみな一様に同じ家紋を背負っている。深い慟哭とため息が闇に呑まれていく。

「この俺が怖いか」

腕を掴まれて引き寄せられた。砂瀑の我愛羅が顔を上げる。

見慣れた子供の姿は見る間に崩れて、醜悪な化け物が姿を現す。

そこに、不意にナルトの姿が重なる。

分断した友の顔、青い青い懐かしい青の瞳。

「その殺意に満ちた目を向ける相手よりお前は本当に強い存在なのか」

意識を失おうとする目の先で、横たわったサスケを、

顔のないイタチと双頭の蛇を愛でる大蛇丸が、

凄いような笑みを浮かべて見下ろしていた。

 

 


 

俺は絶叫した。





 

 

苦しくて、ただ怖くて、叫んだ。

けれど、不意に音が途切れて何も聞こえなくなる。

 

サスケがサクラに抱きしめられていた。

彼女はひどく優しい、慈しむような笑みを浮かべて、怯える彼を抱きしめている。

彼女が何事か囁いて、サスケの体を優しく揺さぶる。

サスケの顔が急に穏やかになっていく。

大人びた表情が消え、安らいだ子供らしい顔をする。

サクラの姿は、彼の母親を映した鏡だった。

彼女の唇が、子守唄をつむぐようにゆるりと動く。

しかしそこからは音が少しも聞こえない。

 


 



(コレは、サスケの夢なんだ・・・・・)

最後に、サスケの頬を張った映像が現れて、そこには鬼のような形相をした自分の姿が映っていた。

(ああ、泣く・・・・・)

俺はまた、落ちていきながら両手で顔を覆った。



 

 

 

 

ふと意識が戻る。恐る恐る眼を開けると、見慣れた自分の部屋にいた。

ベッドのそばに置いていたストーブが赤々と燃え、その上に置いてあった薬缶から白い湯気があがっている。

「・・・・・・夢、か」

俺はほっとする暖かさに包まれて、そのまままた少し、まどろんだ。

腕の中で、サスケが寝息をたてていた。その息が少し乱れ、微かに汗ばんでいる。

「サスケ」

さっき殴った頬が、一段と腫れていた。

俺はそこに手を当ててそっと撫でた。柔らかい子供の肌。さっき見た夢を思い出して少し涙が出た。

 

 

 

「・・・・・。カカシ? どうした?」

眠りから覚めたサスケが起き上がり、心配そうにカカシの顔を覗き込む。

「あ、可愛い」

口からつい漏れた言葉に、サスケが赤い顔をしてカカシの頬を軽く殴った。

「・・・・・・いつもあんな夢をみているの」

「はあ、何を言って・・・・・」

また可愛くないことを言おうとする唇を塞いだ。

「いきなり何するんだ!」

「うん、ごめんね。優しくする」

そのままサスケを抱きしめて、柔らかい髪に顔を埋める。

サスケは抗おうとしたけれど、俺の様子がおかしいのに気づいて、不器用に俺の背中に腕を回してきた。

 




 

 

俺は嘆く。

 

もう君が傷つかないようにと大切にしてきたつもりなのに。

君はこんなにも傷ついた夢を見る。

 




俺は嘆く。

 

君も嘆く。

 

自分が弱いと何度も嘆く。

 

 

互いが、互いに何も出来なくて嘆いている。


だから俺はこの夢を忘れずにおこう。

 

 

 





あの人がくれた、君と繋がる唯一の絆、

同一元素の眼球を、

 

 

 

俺はもう二度と失くさない。

 

End

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