眩暈(仮)   前編

 












 

死んだ忍に、墓はない。

 



「サスケの家には花蘇芳が咲いてるんだな」

紅紫の小さな花びらを撫でながらカカシが言った。

「見てみな。これ、花びらが蝶の形してるんだ」

「・・・興味ない」

サスケはつまらなそうに言うと花から目をそむける。

カカシはなにか拍子抜けしたようにサスケを見て、しばし逡巡した後花蘇芳の枝を少し折り取った。

「ごめーんね」



サスケに続いて家に入ろうとした時、一匹の蛾が目の前にふらりと現れた。

「・・・おじゃましまーす」

カカシはその蛾に向かって頭を下げた。

「こっちだ」

サスケはカカシの姿を認めると、さっさと家の奥に入っていく。

カカシはうちはの広い家で迷子にならないようにと慌ててサスケの後を追った。











 




「ん、サスケお茶淹れるの上手だねえ」

殺風景な客間に通されて、出された熱い茶を一口飲んだ。それは意外にも美味しくてカカシはつい和んでしまう。

「・・・かあさんにならった」

サスケは少し照れたような顔でそっぽを向く。

「あ、そう」

カカシは興ざめした顔をサスケに向けた。

「・・・冷たい部屋だねえ」

カカシは湯飲みを持ったまま部屋の中を見回した。

そこは綺麗に掃除されてはいたが、妙に薄暗くただ、部屋がある、という印象しかない。

かつては掛け軸などを飾っていただろう床の間には、青磁の小さな花瓶が、

本来の目的を失ったかのようにひっそり
と埃をかぶっていた。

「仕方ない、ココに人は来ないし俺だって自分の部屋以外に用はない」

サスケは少し傷ついたような顔をして目を伏せた。

「だけどねえ」

こんなことだろうとは予想していたが、余にもさびしすぎる。カカシはさっき手折った芙蓉の枝を手に取った。

「サスケ、水ちょうだいよ」

カカシは白磁の花瓶を手に取るとそこに花を挿す。そしてそこにサスケが持ってきた水を注いだ。

「ほら、これだけで変わる」

カカシがそれを床の間に飾ると、悲しく死んでいたような部屋にぱっと暖かいような気が満ちた。

赤い小さな花びら
が、凝ったつくりの柱や花喰鳥を透かした欄間をいっそう際立たせる。

「・・・」

サスケは無言のまま不思議そうに花蘇芳に触れた。

「本当に、蝶みたいな形だな」

「でしょ。俺その花がすごーく大好きなんだよね」

カカシの言葉に、サスケも小さく頷いた。

 








夜が来て闇の気配が濃くなった。青白い三日月が雲に隠れる。

サスケは夜着のまま裸足で庭に降り立った。そして隅にある稲荷の祠のほうへと歩いていく。そこは誰が壊したの

か、祠は崩れ落ちて、体の欠けた石の狐がぽつんと横倒しになって落ちている。


『狐は駄目だ』

一族の誰かの言葉がふと甦る。

けれど、サスケはこの欠けた石狐を気に入っていた。目が、父や一族の人々と同じ紋を持っていたからだ。

起こして
欠けた部分を直してやりたい。

しかし、その狐の前には一族の墓があり、気兼ねして未だにそれを起こせないでい
た。

「父さん、母さん」

サスケは墓の前にしゃがみこむと、小さな石を手に取って積み上げ始めた。年中日陰で、湿ったその場所にはいくつ
もの石の塔で出来た墓が建っていた。






「・・・別に禁止してるわけじゃなーいよ。でもな」

そういうと、カカシは石の塔を足で思い切り蹴散らした。

サスケの目の前で、積み上げた石がばらばらに砕け散る。カ
カシは律儀にそれを全て崩した。

「・・・」

サスケはその光景をぼんやりと見つめていたが、やがて再び石を手にとって積み上げ始めた。

「やめなさい、サスケ。忍に墓なんて必要なーいよ。

それに、お前両親より先に死んだわけじゃないんだから、賽の河原ごっこしたって無駄でしょ」

「・・・あんたは、鬼みたいだ」

サスケは俯いて両手で顔を覆う。

三日月が再び現れて、あたりをぼんやりと照らし出す。

幾百もの石の残骸が辺りに異様な瘴気を撒き散らしている。

まるで地獄だね。カカシはうんざりとした顔でサスケを見
下ろした。

「さ、行こう」

カカシはもう一度入念にそれらを蹴散らすと、サスケの腕を掴んで立ち上がらせる。

「裸足じゃないか」

汚れた小さな足を見て、カカシは思わず眉をひそめる。

「春だとは言え、まだ花冷えする時期なのに」

抱上げて家へと戻る。濡れ縁に座らせて、汚れた足を拭いた。



「・・・どうして、ここにいるんだ」

サスケの体は、少し震えている。カカシはその問いには答えず、サスケの頭を優しく撫でた。

「・・・寝なさい。そばにいるから」

 













客間に入ると、春なのに蚊帳が吊ってある。

「・・・妙なことしてるねえ」

カカシはサスケをその中に寝かせるとその側に座り込む。サスケは布団に横たわったままポツリといった。

「夜は、ココから出ないほうがいい」

「泊まってっていいの」

カカシが茶化すようにいうと、サスケは布団を頭まで被ってしまう。

「あれをみたら、ここから出ようなんて思わない」

 












予想外にサスケの家に泊まることになってしまった。

カカシは眠るに眠れず、蚊帳の中でぼんやりとサスケの様子を見たり、昼間飾った芙蓉を見たりした。

「この空間はなんだか異常だねえ。時の流れが違う気がする」

カカシがそういうと、サスケが布団の中から顔を出した。

「・・・来る」

「何が?」

不意に辺りが霞に曇る。そして一気に晴れた。妙な気が満ちていて、カカシは不思議そうに蚊帳の外を見た。

「・・・蝶。いや蛾か?」

暗闇の中で、蛾が幾匹かふらりふらりと舞っている。それらはまるで踊るように楽しげに蚊帳の周りを飛んでいた。

「巴蛾だ。この里では、ここにしかいない」

蝋燭を近づけ目を凝らすと、蛾の前翅に奇妙なもようが浮かんでいるのが見えた。

「俺たちの眼と同じ模様だ」

サスケが熱に浮かされたような顔をしてカカシを見上げていた。

さらに蛾が増えてきているのか、漣のような羽音が耳につくほどに聞こえる。

「三つ巴だと、なおおかしいのにな」



蛾の羽には左右に巴の斑紋が浮かんでいた。



「オレの一族はこの蛾を食ったのかな・・・だから写輪眼なんてものができたのかも・・・」

サスケは笑みを浮かべながら、カカシの額あてをむしり取った。

赤い、発動したままのそれが現れ、カカシはクラリと視界がゆがむのを感じた。




「・・・燐粉なんかでラリるんじゃないよ」

夜着のはだけたサスケの胸に、カカシは冷えた手をあてる。

「冷たい・・・」

サスケが身をよじって忍び笑いをあげる。カカシが下肢に手を触れると、すでにそこはしっとりと濡れていた。

 




















眼が覚めると、サスケは居ず、吊ってあった蚊帳もなくなっている。

夢かと思うほどに昨夜の痕跡は跡形もない。

「サスケ?」

体を起こすと、軽い頭痛に少し吐き気を覚えた。

隅に寄せてあったテーブルを見ると、子供らしい文字で、『先に行く』と書いたメモが置いてあった。

「昨日は、なんだったんだ」

少なくとも、夢ではないらしい。

その証拠に、蛾が一匹、花蘇芳に覆いかぶさるようにして死んでいた。

 




燐粉を振り散らして息絶えた蛾は、両翅の模様をずたずたに切り裂かれていた。








『お前もいつかこうなるよ』








目の前を生きている蛾がふらりと通り過ぎた。

カカシはそれを掴むと、跡形もないほど粉々に、握りつぶした。

 






 





後半に続く