隙間と隙間のスキマ











ある日の夜更け。

穏やかな海面に浮かぶゴーイングメリー号は束の間の休息に入っていた。
丁度凪の状態だからと、
有能な航海士の判断によって日暮れ近くには碇を降ろし今は静かな夜を迎えている。


キッチンで揃って食事をし、
コックの手によって丁寧にいれられたお茶を飲み、
自信作だというデザートまできっちりと平らげて、
ルフィ、ウソップ、チョッパーの三人は大騒ぎしながら甲板へ、
ナミとロビンは船室へ、
サンジは食事の後片付け、
そしてゾロはといえば珍しくそのままキッチンに残り、
特に何をするでもなく、キビキビ働くサンジの後姿なんかを見つめている。


「オイ、何でお前まだそこに居るんだ?」


いつもならとっくに甲板で横になっている頃だ。
食後すぐに寝るのは身体に悪いからやめろと何度チョッパーが言っても聞かない人間が、
何故か今日はキッチンの椅子に座ったまま、
自分の行動を逐一目で追っている。

後ろを向いていても気配は伝わるものだ。

最初は無視していたサンジも、
とうとう気に成って声をかけた。


「あ?何でって言われてもなぁ・・・」

「そんなに見てたって酒は出ねぇぞ?」


キッチンは全てサンジの管轄内。
だからキッチン内の全てのものに関して彼の許可無く持ち出すことはご法度なのだが、
それを承知で毎度無断で酒を持ち出す輩が一名。
毎回サンジが足技を繰り出してまで怒るというのに、
当のゾロには大して罪の意識も無いらしく一向に改まる様子がない。

ぞのゾロが、
寝に行くわけでもなく、酒を持ち出すでもなく、
キッチンに居座っているのはどういうわけだろうか。


「別に酒は勝手に取るからかまわねぇよ」

「いやだから取るなって、ちっとは学習しろよお前」


本当に、特に用はないらしい。

それならそれでいいけれど。
取り敢えず残りの食器を片付けてしまおうと、
積み重ねられた大量の皿を手に取った。











「ふー今日の仕事終わりっと・・・」


綺麗になった皿の最後の一枚を丁寧に重ね、
シンクの水滴をきっちりふき取り、
布巾を洗って干す。
それでサンジの仕事は終了だ。


「あーでも・・・明日の仕込みやっとくかなー」


明日の朝早く起きてやってもいいのだけれど、
夕食に作ろうと思っているキュイスドプーレのスープは、
一晩じっくり寝かせたほうがより美味しくできる。
今日はいつもより早く停泊したので時間は余っていた。


「うーん・・・久々にゆっくりしたい気もするけど・・・」


よく食べる男共のおかげで普段は結構働き詰めだ。
そろそろ新しいメニューをじっくり考えたいと思っていたところでもあるけれど。


「でもま、やっぱやっとくか」


この船のクルーたちはみんな気持ちいい程美味しそうに食べてくれる。
それを思うと、自分のための時間も惜しくはない。


「さて、肉、肉と・・・」

「オイ」

「わ!びっくりした!」


皿洗いに夢中になり、明日のメニューに思考を巡らせる内に、
背後に居るゾロの存在をすっかり忘れ去っていたようだ。
突然声をかけられうっかり驚いてしまった。


「お前まだ何かやんのか?」


ようやく腕まくりを降ろしたと思ったら何事か考えこんで、再び腕まくりをしたサンジを、
ゾロは呆れたような顔で見ている。


「ああ、明日の晩飯の仕込みやっとこうと思ってよ」

「明日の?」

「おお、うめーぞぉ、かなりいい肉仕入れたからな〜」

「明日の晩飯の仕度を今からすんのか?」

「仕度じゃなくて仕込みだ。・・・何だ?テメーがそんなとこに興味持つなんざ珍しいな。
 つーかそもそもさっきから何でここに居るんだ?何かオレに用か?」

「いや、お前があまりにもせっせと働いてるからよ、感心してた」

「は?」


バカにされているのかと思ったが、
ゾロは何だか真面目に言ってるようなので、思わず面食らった。


「ちっとはオレの有難みがわかったか」

「まぁな」

「いや・・・そこをそんな真面目に返されても困るんだけどよ・・・」


冗談で言ったつもりだったのが思いがけずそんな言葉を返されて、
サンジは戸惑いながらも、ハハハ。と笑う。


時々ゾロはこういう類のことを臆面もなく言ってのけた。
普段は人に興味の無さそうな顔をしているくせにクルーの細かい一挙一動に誰より早く気付くのはゾロで、
そして、本来なら照れくさくて口に出すのも憚るような言葉を、
本当にごくたまに、至って普通に口に出したりする。


それはサンジの心臓を必要以上に打った。


ロロノア・ゾロという男はあなどれない。
自分が船に乗ってからそこそこ長い間一緒に旅をして来たが、その思いは初めて会ったときから変わらない。


今も想像すらしてなかった自分に対するゾロの言葉に、少しでも気を抜けば顔が赤くなってしまいそうだ。
それを隠すために一旦冷蔵庫の扉を閉め、煙草に火を点けた。


「・・・何か飲むか?」


キッチンにはさっきからずっとゾロと二人きり。
ゾロに対する自分の気持ちを思い出したら今更そんな状況までもが気になり始めて、
いたたまれずにサンジが口を開いた。


普段なら男相手に給仕なんて御免だが、嬉しいことを言ってくれたし。


そんな思いもあったりして。
けれどそれは口に出さないでおこうと心に決める。
自分は照れくさいことはどうしても隠してしまうタチなのだ。
だからこそ、偽ることをしないゾロに惹かれるのかもしれないけれど。


「酒だな」

「だろーな、おらよ」


そんなサンジの胸の内を知ってか知らずか、
珍しいその申し出に躊躇なく答える。
何か飲むかと聞かれて例えばコーヒーと言う奴じゃないのは百も承知だ。
棚からボトルを一本引き抜くとゾロに投げて寄越し、
グラスをふたつ持ってサンジもテーブルに移動する。


「何だお前も飲むのか?」

「たまにはな」

「へえ、珍しいこともあるもんだ」


普段サンジは殆ど酒を飲まない。
何か祝い事があるときは別だか、
普段はコックとしての仕事が忙しくてゆっくり飲んでいられる時間がないのだ。


「サシで飲むなんて初だな」

「そりゃてめぇにサシで勝負出来んのはナミさんくらいのもんだからな」


この船の中で酒に滅法強いのはゾロとナミ。
サンジも弱くはないが強いわけでもない。
全員で飲んでいるときも必ず自分のほうがゾロやナミより先に潰れてしまう。

ゾロがボトルの栓を抜き、サンジのグラスに注ぐと、
やわらかな気泡が立ち昇ってその一角がうっすら薫る。


「お、気が効くじゃねぇか・・・ってちょっと待てー!」

「何だよ」

「ちゃんとグラス出してやってんだから口飲みすんなって」

「あー?いいじゃねか別に、面倒臭ぇ」

「マナーって言葉を辞書で引いてこい、大体それオレも飲むんだぞ」

「あー・・・」


手にしたボトルとサンジの顔を見比べてその意味を理解すると、ゾロは事も無げに言って退けた。


「今更そんなもん気にするような間柄でもねぇだろ」

「お前な・・・それとこれとは別だろ・・・」


確かにそうかもしれないが。
回し飲みどころかもっと凄い接触もつまりは日常にあったりするのは事実なのだが。


マナーとそれは別モンでしょうよマリモマン・・・


サンジはガックリと項垂れて、
それでも諦めずにボトルを奪い取った。
別にゾロが口飲みしようが何をしようがそんなことは確かにどうでもいいのだが、
今夜はゆっくり酒を楽しみたい気分なのだ。
大事な仕込みも後回しにしてそんなふうに思わせた原因はゾロにあるというのに。


無意識って罪作りだぜオイ。


「酒は元々嗜好品!量じゃなくて質だ!今日くらいは味わって飲んでみろよ」


そう言って空いているグラスに酒を注ぎ差し出した。
サンジのもっともらしい言い分を前に、ゾロには心の内が何となく読み取れてしまって苦笑する。



こいつの考えてることはだだ漏れだな・・・



いつもいつも何やかんやと大量に言葉を並べて誤魔化しているが、
剣を手にして戦っている自分には、
相手の思惑は何となく読めてしまうものだ。
サンジの口から聞き取れるのは大抵何の意味もない文句だったりしようもない文章の羅列だったりだが、
その隙間に見え隠れする紛れも無い本心は結構重要だった。
なかなか素直になれないらしいコックの、
重要な部分だけは見落とさないようにしねぇとな。
ゾロがそんなふうに思っていることもまた、サンジは知らないでいるのだけど。

苦笑するゾロにサンジは、何だよ、と怪訝な顔をした。
それに対してわざと『面倒臭ぇ奴だなぁ』と表情で物語ってやり、
それでも差し出されたグラスを受け取ると、サンジのグラスに軽くぶつける。


「そんじゃ、乾杯」

「お、おう」


その様子にサンジも表情を緩め、
ボトルを横に置くと自分もグラスを手に取った。












グランドラインには珍しいくらい、本当に静かな夜だ。
凪いでいる海面は船内のほんの少しの音さえも深く吸収してゆくのに、
まるでぽっかりと空いた穴の真ん中に放り込まれたように、
外の音も遮断する。


「やけに静かだな」


いつもなら騒がしいキッチンも今はゾロとサンジの自分だけ。

大勢で居ると結局声を張り上げて会話する羽目になるのだが、
今は小さく呟くかれたゾロの低い声がやけにハッキリと届いてきて、
そんなことが何だか新鮮で、サンジは少し顔を赤らめる。


「そういやあいつらの騒ぎ声も聞こえねぇなぁ」


甲板で走り回っていた筈のルフィたちの足音も気付けばぱったりとやんでいた。
灯りがともっているのはこのキッチンだけで、
小さく揺れるオレンジの光が心地よくて、体内にじんわりとアルコールが吸収されてゆく。


「あれ〜?サンジくんもゾロも何やってるの?」


サンジが言いつけた通りきちんとグラスに酒を注いでいるおかげで、
丁度良いペースでほろ酔いになってきた頃、
キッチンの扉が開いてナミが入って来た。


「二人で晩酌?」


後ろ手に扉を閉めたナミは、
珍しいものを見つけたように笑う。


「ナミさんどうしたの?何か要るものでもあった?」


サンジが立ち上がりかける。
言ってくれれば何でも持ってったのに、と言いたげなサンジにナミは肩を竦めて笑った。


「ううんそういうわけじゃないんだけど、外が妙に静かでしょ?眠れなくって」

「オイ、そんな格好で出歩くなよ」


見ればナミは薄いキャミソールのドレスを一枚を着ているだけで、上にも何も羽織っていない。


「そうだよナミさん、風邪ひくよ」


ゾロに続いてサンジも心配そうに言うと、ナミは再び笑う。


「平気よ、暗いからわからないけど外は晴れてるもの」

「ったく・・・いい加減この船の男の比率自覚しろよ」


ゾロが眉を顰めるとナミはえー?と自分の姿をぐるりと見回した。


「何よ、これくらい普通でしょ?」

「いや普通とか普通じゃないとかじゃなくてな」

「ね?サンジくん、これ可愛いでしょー?」


そうしてわざとくるりと廻ってみせる。

その拍子に薄い生地のドレスがふわりと舞い上がると太腿のあたりまで露になって、
ゾロはその様子を呆れたように見つめ、
サンジをわたわたと慌てさせた。


「うん可愛い。可愛いけどナミさん、ゾロの言う通りやっぱこの船男だらけなんだしさぁ・・・」


そう言ってゾロを指差すサンジを、ゾロも顎でしゃくる。


「つーかコイツを筆頭にこの船は危険がいっぱいだぞ」

「な!テメ!オレがそんな不埒な真似するわけねぇだろ!どっちかって言えばテメェのほうが危険だ!
 ナミさん!こいつに近づいちゃダメだからね!」


まくしたてるサンジと煩そうに顔を顰めるゾロ。
そんな二人をナミはやっぱり笑って見ていた。
ふとサンジが気付く。

そういえばこんなふうに笑うナミはなんだかちょっと珍しい。

いつもの元気な笑顔とは少しだけ違う、
この柔らかい微笑みはどうしてだろうと考えて思うのは、



安心してくれてるのかな・・・



そうだったら嬉しいなと、サンジは思う。
そんなナミにゾロも気付いているようだ。
サンジに煩い顔をしながらもナミに対する表情は穏やかで、
自分と同じくナミを大事に思っているのだということが何だか妙に嬉しかった。


「ねーえそれより、」


ゾロの隣に座り、サンジに注文する。


「ロビンはまだ本読んでるし邪魔しちゃ悪いからお水でも飲もうかと思って来たんだけど・・・
 いいところに遭遇しちゃった。わたしも仲間に入れて?」

「勿論!」


サンジが空のグラスを取ってナミに手渡すと、
そのグラスにゾロが酒を注ぐ。


「何かつまむもの作ろうか?」

「ううんこれで充分よ、ありがとう」


指差した先にはさっきまでゾロと二人でつまんでいたチーズが皿に乗っていた。
男二人で飲むならつまみもそれで充分だが、
ナミが合流したとなればやっぱり何か作りたい。
サンジの顔にはそう書いてあったが、キッチリ片付けられているシンク回りにナミも気が付いていた。

メリー号のコックが誰よりも働き者であることはここのクルーは全員知っている。

そんな彼の貴重な時間を大事にしてあげたいのだ。


「それよりこんなふうに静かに飲むなんて滅多にないことじゃない?何だか楽しい」

「確かに滅多にあることじゃねぇな。そいやアイツらどうしたんだ?さっきからいやに静かだけどよ」


ゾロが甲板へと続く扉に目をやった。
食後に一暴れした後、いつもならここの灯りがついていれば絶対、
灯っていなくても時々、
船長を筆頭にキッチン荒らしが現れる筈なのなのだが、
そう言えば随分前から本当に、物音ひとつ聞えてこない。


「ああ、さっき見たら三人共甲板でぐっすりよ」


ここに来る途中、やけに静かな甲板の様子が気になって見に行ってみると、
三人が折り重なるようにして寝ていたのだと、ナミが笑った。


「起きてたら今頃ここに雪崩れ込んで来てる筈だしおかしいと思ったぜ」

「キッチンの気配にあのルフィが気付かないなんて、珍しい夜もあるもんだわね」


静かな闇は深い眠りを誘っているのだろう。
そりゃ静かなわけだと、サンジも笑った。










穏やかに、

いつもよりちょっと低めのトーンで交わされる会話、

いつもの風景だけど、いつもの風景じゃない、

囁く程度で相手に届く声が酷く心地いい。



こんな夜も悪くないと、

三人が三人共、そう心に思う夜。











「おいナミそれより本当に風邪ひくぞ。飲むのはいいけどよ、部屋行って何か着て来いよ」

「しつこいわね〜なぁに?そんなにアタシの格好が気に入らないわけ?」

「気に入るとか気にいらねえとかじゃなくてだな・・・」

「ああ!テメェゾロ!変なこと考えてやがったら承知しねぇぞ!」

「そりゃお前だろ」


ナミが参加したことで酒のピッチが若干あがり、
それでも飲むことより会話を楽しむということに変わりは無く、
サンジだけがちょっと赤い顔をしたまま、
脈絡のない会話は冒頭の話題に戻っていた。


「あらそんな心配いらないわよ」


ナミが言って退けるのを、
サンジとゾロがお互いを指差して抗議する。


「いや、コイツ変態コックだし」

「だってコイツ野獣だし!」


そんな二人を頬杖をついて交互に見比べると、
ナミはにっこり笑って言った。


「それとも、ゾロやサンジくんはわたしに手を出す勇気があるの?」


ナミに上目遣いで射止められてしまっては、降参するしかない。
と同時に、そのとてつもなくいとおしい存在にまるで妹を持ったような気分さえ覚えてゾロもサンジも唸ってしまう。

あまりに可愛くて、大切で、

確かに手は出せないかもしれない。


「でもオレはナミさんがいいなら喜んで・・・!」


しかし、サンジにとっては、
このオレがナミさんをレディじゃなく妹のように思ってしまうなんて不覚・・・!である。
一瞬の後、やっぱり両目をハートマークにさせてラブコックの復活を遂げた。

が、更にナミの追い討ち。


「何言ってんのよ、サンジくんにはゾロがいるじゃない」


ラブコックを撃沈するのには充分な一言である。


「ナ、ナミさぁ〜ん、どうしてそこにコイツの名前が出るんですか〜・・・」


文字通りガックリとこうべを垂れて机に突っ伏すサンジの頭を、
ナミは面白そうに指で押した。
ゾロはといえば『やれやれ』といわんばかりの表情で二人を眺めている。


「オレはナミさんのほうがいいです〜ナミさんがいいです〜」

「だめよーお似合いだもん、ゾロとサンジくん」


突っ伏したまま弱気な声で反論するサンジの髪に指先で悪戯しながら、
ナミはふと呟いた。












「うらやましいな」











それはこんな静かな夜だから、

いつもは掻き消されてしまうような声が、そこにいる誰もの耳に届いてしまう。


笑ってサンジをみているナミの目が、
その瞬間少しだけ寂しそうに伏せられたことに、ゾロは気が付いた。

サンジも顔をあげ、心配そうにナミを見る。




らしくない言葉といえばそうかもしれなかった。

でもその声は、
今日だけじゃなく本当はいつだって二人に聞えていたのだ。


いつも明るくて優しい航海士。

けれどその眼がいつも船の先端を見ていること。

船の行く先、遥かグランドラインの最果てを、
その先端に居る人物に重ねるようにして見守っていること。


「ナミ、あいつはああいう奴だからな、辛いんならやめとけ」


ゾロの声にナミはううん、と首を振る。


「・・・ナミさん、ルフィ相手だと苦労するよ?」


サンジの声にも、ナミはううん、と首を振る。

想う相手が大きな夢を追いかけていること、
その為に死さえ厭わないこと、
そのくらい大切な想いを抱えているということ、


そのキツさは、自分たちにもよくわかる。


背中を預けて戦っていても、

どんなに信じていても、

いつ途切れるかわからない途、

そのリスクがいつでも付き纏う夢を追う者を、

そういう覚悟を秘めながら少なからず想うというのがどんなに過酷なことか、

矛盾しているようで、

紙一重の心はいつでも存在するのだ。




それでも自分たちは男だから、戦えるから、

でもナミはきっと、

これからもっと、背中を見守ることが多くなってゆく。






今でさえ、自分たちでさえ、ルフィの背中に何度もたすけられてきたのだから。






ナミの胸の内を想うと、

ゾロやサンジがそう言うのも、無理はなかった。










「二人がそう言うと、なんだか説得力あるわね」


クスクスと笑うナミは普段通りの表情に戻っていて、
滲ませた寂しさはもう隠れている。

彼女にそういう気丈なところがあるのもまた、
この船のクルーたちはみんな知っているのだけれど。


「ほーんと、なんであんなヤツ好きになっちゃったんだろ」


でも、彼女がそうして隠す表情をそれ以上追求しようとするクルーも、この船にはいないのだ。

隠すには、隠すだけの理由がある。

少しだけ滲ませてくれた寂しさだけで、
触れるには充分だから。


「でもオレ、ナミさんが泣かされたらやだな〜・・・」

「・・・それはオレもちょっと嫌だぞ」


めそめそと言い出すサンジに、
ゾロまで加わって、


それがナミを心からの笑顔にさせた。


「大丈夫よ、だってアタシには頼りにになるナイトが二人も居るんだしね」


わかっていた。
二人がいつも自分を見守ってくれていること。


お互いに背中を預けられる力量を持つ二人がうらやましいのも本当だけど。

その二人は、自分の背中を見ていてくれているんだということも。











ゾロとサンジの腕を掴んで引き寄せ、

その頬にキスをする。












前のめりになったまま真っ赤な顔をしているサンジと、
びっくりして呆気にとられているゾロ。


そんな二人を尻目にナミは、
立ち上がり、薄いドレスの裾をひるがえして外へ続く扉を開けた。


心地よい外気が一束になって部屋の中へ流れ込んでくる。


「風が出てきたみたい」


オレンジの髪が月の光に混ざってキラキラと輝いているのを、
サンジとゾロはキスされた頬を押さえたままで見ていた。


「じゃあねーおやすみなさい」

「おやすみナミさん!」


そのキラキラが、扉の隙間に消えるまで。















「かなわねーなアイツには」


ナミの出て行った部屋でゾロが呟き、
サンジはそれがおかしくて声をたてて笑う。


「お前にもかなわないものあったんだな」

「うるせぇ、テメーもだろバカ」

「そーさ、ナミさんにかなう奴なんてこの世にいるもんか」


ひとしきり笑った後、

訪れる沈黙。




















この夜のことに互いに想いを馳せているのか、


ゾロも、サンジも、
一様に穏やかな表情を浮かべて。
























海賊は因果な商売だなと、机に伏せて眼を閉じていたサンジが呟いた。



誰もが何かを失わなきゃいい、
けど、失う辛さを知っている奴だからこそ、





どうしようもなく惚れちまうんだ。






















ゾロの大きな手が、
サンジの髪をやさしく梳く。






















それは不思議な夜だった。
穏やかで、優しい気持ちになれる空間。



そこに存在したひとときは、
共有した誰もの中に、

ぬくもりを残す。





それぞれの、心の隙間と隙間のスキマに。





おわり。