ゆれつづける。










眼を閉じてすぐ浮かび上がる人





どこかへ行く時には、必ずあなたのアパートの前を通ります。

そして、「いってきます」と「さようなら」をあなたの住んでいる部屋を見上げて小さく呟くのです。

あなたの部屋の窓は決して開くことはないのだけれど、

俺はとても満ち足りた気分になって、また今日も生きていることに感謝をしたくなるのです。

 

 

「こんにちは、イルカ先生」




受け付けに座っているイルカ先生に声をかけると、
結い上げた黒髪がひょこりと揺れて俯いていた顔が上げられる。





「こんにちは、おかえりなさい。カカシ先生」





イルカ先生は、人懐こい笑顔でニコニコと微笑み、カカシから任務終了の書類を受け取った。
今日もナルトたちはがんばっていましたかと書類に眼を通しながらイルカは心配そうに問う。





「んー。いつもと同じですよ。Dランクなんで文句ばっかり言ってましたが」

「はは、あいつは全くしょうがないなあ」





苦笑するイルカをカカシは相変わらず過保護だなあとぼんやりと見下ろす。
イルカが動くたびに揺れる髪が、なんだか気になってじっと見つめていた。





「あ、ここ少し記入漏れがありますね」

「え? どこですか」





覗き込もうとしたカカシの頭が、イルカの頭にごつりと当たった。





「うわあ、すみません、イルカ先生」





カカシが慌てて顔を上げると、イルカもびっくりしたように笑い、なんども大丈夫ですと首を振る。

また、髪が揺れた。

ああ、結い上げた髪を解いて、指で梳いてみたいなあ。

カカシはぼんやりと思いながらイルカの差し出した書類を受け取った。





「・・・あ、カカシさん」





去ろうとした背中にイルカが声をかけてくる。





「今度一緒に飲みましょうね」





ナルトの話が聞きたいだけですが。

イルカは照れたように笑うと、やってきた別の忍に向かってお帰りなさいと言った。





「・・・いいですよ」





カカシがそういうとイルカは嬉しそうににこりと微笑んだ。








































 

 

「っていうわけなんだよー。サスケ君、聞いてる?」





一人で修行中のサスケの背中に向かって、カカシはイルカの話を延々としていた。





「・・・なんで・・・オレに・・・そんな話・・・すんだ・・・」





クナイを投げ続けるサスケの背中が、嫌そうにぶるぶると震えている。

しかしそんなことはお構い無しにカカシは話を続ける。





「んー? だって、イルカ先生がオレのことさんづけで呼んでくれたんだよ? 
 すっごい重大じゃない、誰かに言いたく
てさあ」

「・・・だから、なんでオレに・・・」

「なんか、今まるで初恋してるみたいな気分なんだよね。そしたら、今一番青臭い恋してるのって、サスケ君じゃん。
 この気持ちよく分かるかなあと思って」





カカシがそういうと、サスケは明らかに動揺して、投げたクナイが的を大きくはずして飛んでいく。





「あ、残念。サスケ君減点ね」

「・・・ち、違うぞ。サクラのことは別に好きとかじゃ・・・!」

「ふーん、サスケ君サクラちゃんが好きなんだ? 知らなかったなあ」

カカシの誘導尋問にひっかかったサスケは、真っ赤な顔をしてクナイを取り落とした。

「ば!っ いや! サクラの奴が一方的に! 好きとかじゃないぞ! オレは復讐、そうだ復讐するためだけに・・・!」

「いやいや、恋って大事よ? サスケ君」

「・・・う。わああ、ちくしょう、うすらとんかちめ!」

「ふふふ、青いのお」





カカシが不気味に笑っていると、ナルトとサクラがそれぞれの修行を終えて戻ってきた。





「カカシせんせー?サスケってばどうしたんだよ。なんかトマトみたいになって走ってったてばよ」

「カカシせんせー?サスケ君になにかしたのお?」

「んー?ちょっとセクハラ?」

「シャー!最悪だわあ! 先生のくせになにやってんのよ!」







サクラの猫の皮が一気にはがれて、カカシの首に手を掛ける。

ぎゃあぎゃあとわめくサクラをカカシは不思議そうに見下ろした。





「サクラちゃん、お前って・・可愛いねえ」

「ん?」





カカシはそういうと、サクラの頭を緩く撫でた。





「こんな感じかなあ。もっと硬そうだな」

「せ、せんせ?」

「んー」





カカシはぼんやりとサクラの髪を撫で続ける。柔らかいピンクの髪が指に絡んで、少しくすぐったい。





「いいなあ、可愛いなあ」

カカシはそのまましばらくサクラの髪を撫で続けていた。

「・・・なにやってんだ! 触るな!」





それを見たサスケが、ものすごい勢いで戻ってくると、サクラの腕を掴んでカカシから奪い取る。

そのままサスケは

クラを抱えてずんずんと歩いていった。





「・・・カカシせんせってば、今日おかしいってばよ?」





サスケに突き飛ばされてひっくり返ったままのカカシを、ナルトは困惑気味に見つめる。





「んー。いいなあと思ってさあ」





カカシはへらへらと笑うと、自分の手をぼんやりと眺めた。ゆっくりと手を握っては開くことを何度も繰り返した。





「・・あの人も、あんな感じかなあ、ナルト?」

「・・・あの人って誰だってばよ?」

「んー。秘密」





なんだそれと怒り出すナルトを見てカカシは笑う。





「お前は行かなくていいの」





向こうでちょっといい感じになっているだろうサスケたちのほうを指差す。





「・・・いいんだってばよ」

ナルトは困ったような泣きそうな顔で、鼻を擦り、少しだけ笑った。


















 






















 

 

たとえば、あの黒髪。

たとえば、鼻の傷。

忍者のくせに以外に不器用なところや、やわらかい笑顔。

誰よりも一生懸命で、迷いもあるが真っ直ぐに返される瞳。

・・・でんとした腰。





「い・・るか・・・」





吐息とともに声が漏れる。

頭の中でカカシは彼をなんども犯し続ける。

足を開いて体を穿ち、愛しい口付けを思う様与え続ける。

実際には、嫌がられるのが怖くて、傍にも寄れないというのに。





「・・・あー好きだー」





やさしい優しい笑顔を思い出して、両手の中に白濁したものをぶちまける。

荒げた息がむなしく部屋中に響く。

窓の外は朝になりかけていた。薄れた闇が新しい光と交錯し、空が一瞬薄い紫色に染まる。





「・・・一人きりだ」





明るくなった空をぼんやりと見つめる。

朝もやの中を、鳥が幾羽か飛び立つ。

静まり返った部屋でイルカの名前を呼んだ。

そうすると、唐突に寂しさがこみ上げてくる。会いたいと、何でもいいから会いたいと呟いて余計に渇望した。

不意に、ナルトの孤独が影を落とす。見守るだけの幼い恋をした彼を嘲ろうにも、出来ない自分を笑った。





「・・・一人きりなんだ」





カカシはそう呟いて両手で顔を覆った。

 













その日、カカシはアパートの前を通らなかった。

次の日もその次の日もそこには行かず、彼自身のこともさした理由もないのに、避けた。

受付に行っても近づかず、目さえ合わさなかった。

家に帰ると、頭の中でイルカを抱く。暗い澱がよどみ始めていた。





「・・・お前、うざい」





背後からサスケに思い切り背中を蹴り上げられて、カカシは前のめりに倒れこむ。

子供たちは演習だといって遠くに行かせ、自分は当分の間見つからないように術をかけていたのに、
サスケにアッサ
リと見つかってなんども軽く蹴りつけられた。





「んー。なにすんのー。サスケ君。そういうことしちゃ駄目でしょ」





拳骨を見舞うふりをして手を上げる。サスケは何も動じることなくつまらなそうに言った。





「・・イルカ先生が、お前が最近避けるんだがどうしたんだとかオレに聞いてくるんだが」

「え、イルカ先生が?」





言われて、気にかけてくれたのかと嬉しくなって顔が自然ににやけてしまい、それを見たサスケが気味悪そうに後
ずさった。





「どうしても会いたいんだと」

「・・・サスケがオレと?」





いやそうに顔をしかめるカカシの頬を、よく砥がれたクナイが掠る。

「・・・イルカ先生が、おまえと」





今日待っていますとサスケに伝言を頼んでいたらしい。カカシは嬉しくて、つい心にもないことを言ってしまう。





「えー。どうしよっかなあ。あんまり一緒に居たくないなあ」

「行けよ。オレはちゃんとした修行がしたいんだ」





カカシがこのところ手を抜いていたことに、サスケは気づいていたらしい。

悪かったなと思いつつカカシは余計なことを口にしてしまう。





「サスケ君、初恋なんてシャボン玉だよー」

「・・・あーそうだった。オレの復讐相手は確かお前だったなあ。うっかり忘れてたなあ」





いうなり、サスケはすばやく馬虎の印を切る。





「え、ちょっと冗談でしょ? おれは上司なんだよ?」

「うるさい・・・さっさと行け」





小さく火を吐かれて、逃げ回るカカシを、サクラとナルトが木の上から笑いながら見下ろしている。





「あたし、イルカ先生とカカシ先生が一緒にいるの好きなの。なんだかお似合いなのよねえ」





そういって笑うサクラに、ナルトも大きく笑って頷いた。

 



















 

「えっと・・・あのそのですね・・! いきなり呼び出したりしてすいませんでした!」





酒の入ったコップを握るイルカの手が、ぶるぶると震えている。
上忍を、しかも子供を使って呼び出したことに今更な
がら恐怖を感じたらしい。真っ青な顔をして目をあわせようともしない。





「いやあ、いいんですよ。おれもあなたに会いたかったし」

「本当ですか?」





カカシの言葉に、イルカは顔を喜色満面にしてホッと息をついた。





「・・・夢だったんですよね。ナルトを、認めてくれた大人と一緒に飲むの」





あんまり、そういう人いませんでしたから。イルカは笑い、酒を一息に飲み干す。





「・・・そうですね」

「カカシさん、最近おれのこと避けてたみたいだから、もう駄目かと思ったんですけどね」





ほろ酔いになったイルカは嬉しそうにナルトのことを話し続ける。

カカシの中で、嫉妬に近い感情がゆっくりと頭をもたげていた。





「イルカ先生・・・」

「なんですかあ」





ろれつの怪しくなってきたイルカをカカシはじっと見つめた。





「暫くナルトの話は止めてくれませんか。あなたが好きでたまらないのに、
 このままじゃおれは嫉妬でナルトに酷くし
てしまいそうだ」





イルカは真っ赤な顔をして、ぼんやりとカカシの言葉を聞いていた。





「・・・好き? おれを・・・?」

「・・・でましょう」





未だぼんやりとしているイルカの手を引いて、カカシは店の外へ出る。そのまましばらく無言で歩き続けた。

カカシに、強い力で手を握られ、イルカの手がしびれ始める。その痛みが、徐々に酔いを醒まさせた。

細い三日月を背に受けて二人はそのまま歩いた。闇に時折隠れそうになるカカシの顔は、子供のように幼く、赤らん
でいた。





「・・・もう、いいですか?」





イルカは困ったように笑って、放してくれと手を引いた。





「・・・すみません」





カカシが手を離すと、イルカは弾かれたように走り出す。





「・・・ほんとに、好きなんだ」





カカシの呟きだけがイルカの背中を追いかける。

 

 












 

イルカは息の続く限りに走り続けた。

どこまでいってもカカシが追ってくるような気がして、

怖くはなかったのだけれど、追いつかれたくなくてただ必死で走った。

ビルの暗がりに転がり込んで、荒い息をついてなんどもなんども咳をした。

息を吸うたびに、カカシの言った言葉が甦る。





















『あなたがすきでたまらない』




















月明かりの下でも、握られた手の後がはっきりと分かった。

その手を見つめ、痛いほど握られた、好きだといわれたわけを考えた。








「・・・カカシさん」








イルカはその手の跡に、そっと震える唇を近づけた。






































 

 

「どうして、あんなことをいってしまったんだ!」


家に戻ったカカシは、目もくらむほどの苛立ちを感じて、手に触れたもの全てを壊してやろうと投げつけ、踏み崩し、
散々に散らかった部屋の中に仰向けにひっくり返った。






「イルカ」






彼に触れた指で、自分自身に触れた。


乱暴に擦り上げ、イルカの名を呼んだ。


白濁した液で身を汚し、涙を流してイルカに許しを請うた。








「恋を・・・恋をしていたのは、俺だけだったんだよな」







それを今更ながらに思い知って愕然とする。






「ああ、やっぱり一人だ」






なにもないなあ。

精液まみれの自分を抱きしめて、カカシはおかしそうに笑い、なんどもなんどもしゃくりあげた。


 

 





























朝。

変わらず次の朝がやってきて、ぼんやりとしているうちに出かける時間になった。

何もいつもと変わらない。

空は晴れているし、鳥も何事もなく飛んでいる。

カカシは、諦めきれずに、アパートの下に立っていた。散々逡巡した後、カカシは小さな声で







「イルカ先生、おはようございます」







絞り出すように言う。

窓は、今日も開かない。







「さようなら」







そういって背を向けたとき、微かに窓の開く音がした。







「・・・いってらっしゃい!」







驚いて振り返ると、二階の窓が小さく開いて、見覚えのある黒髪がひょこりと揺れていた。







「・・・行ってきます」







カカシの声が嬉しそうに弾んだ。






「待ってろよ、サスケ。今日のメニューはスペシャルだ!」



カカシはにやりと笑うと、指を鳴らして歩き出した。









































「・・・おれも、ずっと恋してましたよ。一人きりだと思ってた」




イルカは去っていく背中にひらひらと手を振った。


また明日。会いましょうねと笑んだ。












END